60万部のベストセラーとなった本です。 食品添加物のトップセールスマンだった人が書いた、 添加物との付き合い方を消費者に考えさせる、そんな本です。 恥ずかしながら、この本の存在をつい最近(一ヶ月前くらい!?)に 知って、タイムリーに興味のある分野だったので買ってみました。 添加物の勉強の入口としてはとても良かったです。 やはり、研究者が書いたのではなく、実践者・営業マンが書いた というのが大きいように思えます。 一般消費者に対してわかりやく書かれた本でした。ただ、 そういう文章って、えてして研究者からすると物足りなくて 納得がいかないと思われることが多いでしょう。 でも、研究者が正確に精密に書いた文章は今度は誰も読まない。 自分も専門的な内容の文章を書いて人に読んでもらうことが多い ですが、常にこのジレンマに襲われます。 特にこの本は、利害関係もあるので重箱の隅をつつかれやすいもの ですが、まあその辺の無駄な批判は自分には興味が湧かないとこで。
個人的な感想では、本の内容は「驚き」というよりかは「納得」 という感じです。というのは、今まで添加物というテーマはあまり 着目していなかったにしても、自然栽培の野菜のきっかけから、 ナチュラル・ハーモニーでたくさんお買い物するようになって、 詳細は知らなくてもおおよそは知っていたというのがあったから。 「ああ、やっぱりそうだよね、ああ、そういう仕組みだったのか」 という感じで「答え合わせ」みたいな気分でした。 もちろん、その中でも驚きはたくさんありました。 塩なんか良い例で、「おいしい塩」のおいしい部分って、そうか ミネラルだったのかと。塩って、おいしいもの、ただしょっぱい だけのもの、明らかです。明らかだけど、その仕組みまではよく わかってなかったので。(その差がなんで生まれるのか) 読んだ後、気になってお店に行って塩を見比べてみました。 よく定食屋とかで昔からみかけてた食卓に置いてありそうな塩、 塩化ナトリウム99%以上。自然海塩の場合は、70%ちょいほど。 ああ、こんなに違うんだなぁと。砂糖の場合は粗製糖と言っても 90%ちょいほどで、厳密には大差ではないですが、20から30% 違うってのは、かなりの差です。それだけミネラルが豊富なんだと。 塩のミネラルを栄養素としてみるのは微妙ですが(塩取り過ぎ)、 要は味に違いがでるのですね。これはとても興味深い。
この本のスタンスは、添加物は体に悪いと煽ることではなく、 どちらかというと、添加物がたくさん使われてて副次的な弊害が 発生しているという現実を知ってもらって消費者に考えてもらう というところです。その姿勢はとても良かったですね。 (危険を煽るだけの本って面白くないものですから) そして、副次的な弊害は、どれも納得いくものばかり。 o 糖分取り過ぎ、塩分取り過ぎ (添加物ありきの商品) o 味覚がおかしくなっていってしまう (特に子供たち) o 伝統手法の食品が消えていってしまう ちなみに、もちろん添加物自体の安全性に関する警鐘もあります。 ただ、「危険だ」というよりは「安全ではないかもしれない」 というニュアンスですね。後は読者がどう受け取るか次第。 o 単体での動物実験はしてるけど複合試験はされていない o しょせんは動物実験なので、人にあてはめるとわからない o 実際に使用禁止になった添加物が今まで存在している 別に添加物を否定しているわけでないところがポイントです。 自然栽培の話も同じようなことがありますが、農薬使った栽培は それはそれで社会的な役割を果たしています。それと同じで、 添加物も便利だし、無いと成り立たない部分もあるわけで。 それを認めた上で、再考しようという姿勢がこの本の特徴ですね。 結局、添加物を使えば、消費者には多大なメリットがあるわけで。 「安い、簡単、便利、美しい、おいしい」 それを消費者が究極に求めた結果とも言えるというところです。
「何が添加物なのか?」という消費者向けの指標で、 「台所のないものが添加物」という表現がありましたが、 専門家でない人に対して訴える時はこういう抽象表現が大事ですね。 正確には「どこの家の台所にもなさそうなもの」と解釈できます。 もちろん、こういう抽象表現は、厳密な分類と一致するわけでは ないですが、というか一致する必要はなくて、消費者にとっては、 100%間違わずに添加物かどうかを当てることよりも、おおよそ でいいので「これがそうかな?」って気軽に言えるメソッドが あることが大事なわけで。 (それこそ、指定添加物かどうかなんて話も二の次) 文章量は少ない方かなと思われるのですが、よくこれだけのインパクト があるなぁと思います。文章書く人ならわかると思いますが、 伝える思いが強いほど、どんどん文章量は多くなっていくものです。 (ああ、このブログの記事もどんどん長く...) うーん、もうちょい慎重に書けてもいいんじゃないの!?って ところも確かにあると言えばあるのですが、慎重さを出せば出すほど、 読みづらいものになってしまうものですし、もともとどの本読んでも、 「自分の頭の中で噛み砕くまでは仮知識」を意識して読むのが普通 なので、気になるところは後で自分で調べると。 とにかく「シンプル」ってのが徹底されているので本当に「入口」と して良くできてると思いました。ただ、この本を読んでさらに興味が 湧いた人には、もっと情報欲しいなぁと物足りなく思ってしまうかも。 同じ著者の「なにを食べたらいいの?」という続編的(!?)な本が 出ているようで、ぱっと眺めただけですが、原材料の表示例と共に 説明があって、もうちょい実践的な内容になっていそうです。 そう、添加物を考えた方が良いとわかっても、原材料の表示を 読み解けないと行動できないので、そういう面を期待して、 新刊の方を読んでみたいと思います。 {追記 (2010/12/28)} 新刊を読みました。 「何を食べたらいいの?」を読みました | jfluteの日記 http://d.hatena.ne.jp/jflute/20101228
さて、この本を読んだ上で(新刊の方はまだですが)、 添加物に関して、個人的な解釈をしてみました。 まず、「100%安全でも100%危険でもない」というところ。 そして、不安が強いながらも、添加物は便利であるという事実。 ただ、「濫用」され過ぎて副次的な弊害がある。 これを踏まえて、どう何を選ぶかは消費者の自由。 そして、状況が変わっていくもいかないも消費者の選択次第。 ただ、避けるにしても、避けようにも避けられない現状があるので、 意識するなら「できるだけ」というのが妥当なところでしょうか。 でも、そのできるだけ(無添加のものを選ぶ)が、変わるきっかけに。 自分が個人的に一番いやだなと思った部分は「濫用」です。 食品の製造工程で問題が発生しました。そのとき、どうするか? 口にする食品に物体を入れて問題を解決するのって、他の解決法 ではどうにもならなかったときの「最後の手段」でしょう!? 自分の感覚では、そういう風に思えます。 どこの世界でも便利なものを濫用して良いことはほとんどないです。 問題解決の際に、解決案の優先度を間違えて良いことはないです。 (著者もモーレツ時代は「食の問題を解決するコンサルタント」ではなく、 「食の問題を自社の添加物で解決する営業マン」だったと言えるでしょう) 必要なものは必要、でも、要らないものは要らない。 実際は無くてもいい添加物がたくさんあるんじゃないかなぁと。 添加物という最後の手段を使わなくても別の方法で業務的な問題を 解決できる場面は幾らでもあるんじゃないかと。 (あくまで「添加」物、仮に100%安全だからと言って入っていいとは ならないのですね。安全だからってご飯に意味もなく液体や粉を 吹きかけられたらそりゃぁ怒るよ) そこは消費者にはなかなかどうにもならない部分ですが、 添加物が便利であることを分かった上で(ときには頼ることもあるし)、 添加物を減らす努力をしている企業の商品(添加物のない商品とか)を、 商品を選ぶ上での選択要因の一つとして意識してみるのが、 消費者が唯一できることかなと。原材料表示自体に問題があるので、 これまた正確な判断がしづらいけど、意識だけでもあればと。 (実際に、そういう商品たくさんありますし、あるってことは、 添加物に頼らずに問題を解決・回避できてるってことなので) そういう点では、個人的には、無駄な旨味 (グルタミン酸ナトリウムやたんぱく加水分解物など) が要らないですね。「調味料(アミノ酸等)」とか。 できれば素材のおいしさを楽しみたいんですけど... (まあ、今は既にそういうもの家では使ってないですが) ベジタリアン料理(ヴィーガン料理)を食べるようになって からは特に、単純に「好み」という点でもそういう食品には 興味が湧かないですね。 添加物自体の体への影響という面では、突き詰めてもなかなか 消費者には見えづらくて難しいのですが、ちょっと気になるのが、 体に不要な添加物が排出される際に、内蔵などの体に負担を 掛けないのかな?と思うところですね。 例えば、人にとって大事なタンパク質も、取り過ぎて排出される ときは腎臓に負担を掛ける言われますし、タバコの煙や排気ガスを 吸ってしまったときに、排出するのにビタミンCを消費します。 そういった感じの似たような話が添加物にもあったりしないの だろうかと。要は、仮に100%安全なものがあったとしても、 もしそういうことがあるんなら、やはりうれしくないなって。
今思えば、実家はかなり添加物レスなものを使っていました。 母親が意識が高かったのか、家には「生活クラブ」のものばかり。 まあ、実家を出てからは当然のように食生活荒れ放題なわけですが、 それでも、味覚はちょっと人とは違っていたように思えます。 外食時などサラダにドレッシングを一切かけずに食べていました。 最初からかかってるものは、いやながら食べてました。とはいえ、 何も考えてなかったから、周りの雰囲気につられてかけることも あったけど、なんとなく後悔。野菜自体が持っているほんのり味を 楽しみたいってのもありますが、ベジのお店を利用するようになって、 「なんだ、おいしいドレッシングがあるんじゃん」と。 自家製で化学調味料一切つかってないこだわりドレッシングを出す お店であれば、おいしく頂けました。なんだ、そういうことかと。 ドレッシング自体もとてもおいしく、かつ、素材の味が阻害されない バランスの取れたドレッシングがちゃんとあるだなと。 実は、こういう似たような話が自分には一杯あって、同感してくる 人もいるけど、でも大抵は不思議がられます。でも、荒れ放題時代は、 そういう面もありながらも味の濃くって脂ぎっしりのラーメン じゃんじゃん食べたりとチグハグだったんですけどね。 (それでも、スープと麺にこだわったお店をメインにしてたかな) ジャンクなものを子供の頃からよく食べていたという今はベジの友人、 やはり今でも時々、ハンバーガーなどジャンクな食事に誘惑されたり することがあると言います(誘惑されても食べないですが)。 やはり、そこは自分にはあまり無い感覚で...なんで無いんでしょう!? まあ、「なんとなく」だったとしかいいようがないところ。 敢えて今誘惑されるなら自分の場合は「アジの開き」ですかね。 (特に南房総の海沿いの町で干してるのを直接買いつけたもの。 ちなみに自分は基本的に焼魚に醤油を掛けません、既に味があるし) とまあ、それ以外でも色々と人の話を聞くと、やはり子供の頃に 食べた味ってのは忘れられないようです。やはり高校生を過ぎた くらいになって食生活が荒れてくることが多いようですが、 その後、大人になってやっぱり子供の頃の味に帰るって。 そう考えると、食べるものを選べない子供たちにとっては、 自分らよりも、もっと重要な話になるだろうなと。 (まあ、そういうことも本に書かれていまたし) しかしながら添加物は、なんか Java や C# の 「リフレクション」のようなものだなぁとしんみりと思ったり。 便利なんだけど、濫用するとロクなことない。 コンパイル言語の限界で困った時の最後の手段なわけです。 なきゃないで困るけど、決して普段、使うものではありません。 「そのものが悪いんじゃなくて、使い方が悪い」 では、プログラマじゃないとわからないネタで締めます。