デザインの一貫性と皆で決める納得感

こちらの記事が印象的でした

なぜ製品仕様を合議制で決めてはいけないのか。| @hirokishimada_80077

勇気のある記事だなと。

こういう話を聞くといつも、とある有名な映画監督の言葉を思い出します。
(誰だったか覚えてません...テレビのゲスト出演で)

「みんなで話し合って作った映画ほどつまらないものはない。実際に売れない」

サービス開発における、アプリケーションアーキテクチャも全く同じだと感じています。

"アーキテクチャデザイン" の一貫性が崩れ、個々では良さそうに見えても、"全体としての価値感" にフィットする人はいない...

決める人が正しいか?

でも難しい。

決める人が、単に権限を持っているだけで、別に全体を把握しているわけではない、なんてこともよくあるから。

特にアプリケーションアーキテクチャは、好みが優先されやすい領域であるため、ミスマッチな独断が横行しやすいです。

また、一人だからって一貫性が保たれるとも限らない。一人でやってても一貫性を保ち続けるって難易度高いこと。ある程度、間違えながら成長していくわけで。

そして、一番全体を把握している人だとしても、皆の状況を加味したバランスの良い判断を導き出すスキルがあるとは限らないから。

その辺は、紹介記事に近いことが書いてありますね。

「では、どのように周りの意見を製品に取り込めば良いのか?」

が、できないのに決められても困るから。

だから、納得感のある "皆で決める" になるわけです。ある意味でのセーフティネットとして。

減点主義のデフォルト

さらに難しくしている要因があると感じます。

多くの人が減点主義だから。

そもそもデザイン的なもので、常に最適な答えを出し続けるというのは不可能です。最適な答えかどうかの証明自体も難しい。

全体のデザイン、つまり、総合点で評価しないといけないものであるわけです。

でも、何か一つでも「違うな...」と思うようなことがあれば、「やはり独断で決めるのは良くない」という声が上がり、決める人の信頼が崩れ、納得感のある "皆で決める" になるわけです。

独断回避のデフォルト

"独断で物事が決まっていくこと" に対して、ぼくらはデフォルトで回避行動があると思っています。

「皆で決めないことは良くないことである」

という価値観がどこかにないでしょうか?

当然です。少なくとも日本では、多数決で物事を決めることを教育の段階から刷り込まれているでしょう。

なので、独断に関しては敏感で、何か一つでも「違うな...」と思うようなことがあれば、その判断の背景や全体バランスの議論の前に、やり玉に挙げられるのは独断...つまり、一人決め (or 少人数決め) です。

勇気のある記事

勇気のある記事だなと思ったのはそこです。
この前提の価値観があるから、こういうことを主張すること自体に、勇気が必要なはずで。

(いわゆる独断的な感じで)
「いいから、俺に決めさせろ」

と言ってるんじゃないか?
って曲解される可能性もあるわけですから。

紹介記事は、独断という言葉が似つかわしくない行動を、決める人がする必要があるということが、しっかり書かれています。

ほとんど、リーダー論に等しい内容とも言えるような気がします。

責任回避の多数決

決めるというのには、責任が発生します。

それは決める役割の仕事をやっただけで、(一生懸命やっていれば)社会的な責任がないにしても、やはり人は責任を感じますし、他人は責任を求めます。

個人的には "感情的で潜在的な責任" と呼んでいます。

それを回避したいがために、"皆で決めよう" というのも、生まれやすいことです。

皆で決めれば、もともと決める人だった人には、感情的で潜在的な責任が発生しません。楽です。皆で決めて失敗しても "皆で決めたんだから..." という体裁を暗黙的に演出することができるわけです。

納得感との戦い

それって、ひどいやつのように聞こえますが、その決める人が自己欲求の責任回避だけで、そのようにしてるとは限りません。

皆が...

(紹介記事の言葉をお借りして...)
"知識を持っていないのに" 納得せず、大きな判断を歪めようとするから、皆で納得するように皆で決めるのかもしれません。

結局は、納得感と戦うわけです。間違ってても納得感が欲しいわけです。納得感があればチームはまとまりますし。

でも、上空からその風景を見たときは、「この人たちはなにやってるんだろう」って思うことでしょう。

無関心・無責任のデフォルト

もう一つ難しいこと。

一人の人 (限られた人) が決めると、皆が無関心になるからです。

決定権がないと、無関心になりがちです。その決定に関わらず行動に対して、無責任になりがちです。

なので、無関心行動を作らないためにも、"皆で決めよう" になるわけです。

なので、多少重要度の低いものは、演出も兼ねて "皆で決める" ということもあるかもしれません。重要なところは決めるべき人が決めて、そうでもないところは皆で決めると。

分析と判断のスキル

これらの "難しい" を覆して、"合議制で決めない"、つまり一人決めで物事を決めていくのは、非常に高いスキルが必要でしょう。

紹介記事の「では、どのように周りの意見を製品に取り込めば良いのか?」には、本当に貴重で良いことが、書かれていると思いました。

アーキテクトリーダーに当てはめてみても、全く通じること。そして、勇気のいること。

さんざんこのブログでも、"決める" という言葉を使っていますが、"決める" というよりも...

情報分析してバランス判断する

ということなんでしょう。

別に一貫性と納得感は排他でもない。ロジックで両立させることもできる。その積み重ねが信頼になることで、どうしてもロジカルにならないときも、納得してもらえるようになるのでしょう。

"分析もない判断もない決め" には、"独断" という言葉が似合う。

一方で、例えば...

皆にしっかり意見を聞いていても、単に「多いもの」に決めていたら、それは単なる管理です。それは判断してるわけじゃない。

安心して決められるか?

組織として決める人に対する "安心" を提供する必要もあるでしょう。

決める役割というのは、それなりの過剰な責任感を感じやすいですし、感情的で潜在的な責任を負いやすいです。

大事な役割なのでプレッシャーは必要ですが、その人だけの努力で、様々な "難しい" を乗り越えながら、デザインの一貫性を保っていくのには限界があると思います。

会社であれば、会社という組織が、その一貫性を保つためのファシリテーションをし、決める人の心理的安全を保証してあげないと、誰もその役割を全うしようとは思わないです。

そもそもの価値観の共有

どういう価値観を持って...

「どういうプロダクトにしていく?」

「どういうアーキテクチャにしていく?」

というのは、そもそも事前に共有していくことが大切だと感じています。

それを決める人が共有していくのは、それはそれで大切ですが、一方で、それも限界があります。"啓蒙の責任" まで負わせるのが大きすぎるのでは?

昨今の組織は変動が激しいですし、価値観も手段も多様化してきました。論理的な証明できない答えも多くあります。

方向性やポリシー的なことの決め、そしてそれの横展開には、強いパワーが必要です。

// 誰もマイクロマネジメントしたいわけではないだろう
http://d.hatena.ne.jp/jflute/20180116/microzaraki

マクロマネジメントがないと、"安易な多数決" になりがちなのかもですね。

決める人を皆で決める?

「決める人を皆で決める」というのも、一つの選択肢かもしれないと思いました。

例えば...

「建築デザインを誰々さんに依頼する」

というのは、それに相当することかなと。長けた人にお願いをすると。
(依頼や発注を皆で決めたかわかりませんが...)

また、政治の世界では、そういうことですよね。つどつどの個別個別の政策を多数決できないから、方向性や価値観の一致する人を選挙で選んで、決めてもらうと。ダメな場合は、次は違う人を選ぶと。

ちょっと大げさに思えてしまうかもですが、デザインの一貫性を重視する判断ものであれば、「誰々に一任する」っての、もっと積極的に取り入れていっていいと思っています。少なくともアーキテクチャデザインでは強く感じます。

現場指向は現場鵜呑みではない

オープンソースの開発でも応用できることですね。

jfluteが作っているオープンソースプロダクト(DBFlute)は、"現場指向" と謳っていますが、実際には現場の要望をほとんど鵜呑みにはしません。どちらかというと要望と違う結果を返すことが多いです。

要望はあくまで "情報" であり、貴重な "情報" です。

それを踏まえて全体バランスとの調整をとりつつ、問題を解決できるやり方を探るのがコミッターの役割です。でないと、プロダクトを長生きさせられないからです。

これを書くのもちょっと勇気が要ることです。昔だったら書けなかったかもしれません。

「おいおい、要望出しても単なる情報なのか?」

いやいや、"とても貴重で宝物のような情報" です。

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Webサービスのスタートアップをされている方のツイートで、記事を知り考えるきっかけになりました。ツイートでは価値観という言葉が印象的でした。
https://twitter.com/_miyasama_/status/959779600929734657

プロダクトの価値観のブレは、後から参加してきた人の価値観のブレにもつながり、長持ちさせるのがより厳しくなるのでしょう。

永遠の課題

人類にとっての、永遠の課題と言えるでしょうかね。たぶん、千年前も二千年前も、みんな同じこと言ってたと思うんですよ。

...まあでも昔は権力集中と濫用が強すぎて、一人決めの弊害が大きかったかもしれません。わりとフラットな立場同士で人が集まって、組織で何かを作ろうとしている今の時代ならでは?ということも考えられるかもですね。

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いずれにせよ...

ぼくらは機械じゃないから
ぼくらは一人じゃないから
ぼくらは感情持ってるから

一貫性と納得感の狭間でもがくのでしょう。

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