小数点の自己主張

白黒灰色はっきり?

※個人的なポリシーをまとめています。

「白黒はっきりつける」という言葉があります。
「1 か 0 か」という言葉は...一般的でしょうか?

ちょっとそこはわかりませんが、議論において、1 の主張と 0 の主張がぶつかり合うことがよくあります。

人は必ず「はっきりさせたい」という気持ちをもっています。そしてシンプルの方がはっきりさせやすいもの。

0.3 と 0.8 は?

「あなたは 1 の人? それとも 0 の人?」

こういう議論をよく見かけます。それはあえてシンプルに二択にしている場合もあれば、自然とそういう風になっている場合も。

「すいません、0.3 なんですけど」と言っても、1/0がテーマになってるときにそれを主張するのは難しい。なぜなら、小数点は「主張がシンプルじゃない」から。例えば、1 と 0 の違いはわかりやすいが、0.3 と 0.4 の違いはかなり微妙でとてもわかりにくいもの。しかも、その境目は、時にはとても曖昧であり感覚的なもの。ロジカルに表現できたとして、それはシンプルではない。

0.3 は、0 的な思想に少しブレーキをかけたもの。
0.8 は、1 的な思想に少しアクセル踏む力を弱めたもの。

そのバランスを主張したいが、そのバランスはわかりづらい。

方向しか見られない

1 の人から見れば、0.3 は 0 の人だ。
0 の人から見れば、0.8 は完全に 1 の人だ。

さらには、0.7 から 0.3 を見れば 0 に見える。バランスをとってる人同士、互いのバランスは見えづらいもの。

1 寄りの世界に入れば 0 に見られ、
0 寄りの世界に入れば 1 に見られる。

1 寄りの世界では、0 方向への主張にとても神経質であり、
0 寄りの世界では、1 方向への主張に強烈なブレーキ心が芽生える。

バランスの主張

同じテーマにおいて、1 の代表としてしゃべってるときもあれば、場所が変われば 0 の代表になってることもしばしば。両方からバッシングを受けることもあるし、真逆の意見として全く聞き入れてくれないことも。

...と思います。もちろん...ではありますし、...という場面ではこうですが...でもここだけは...という「くどくど」にどうしても時間がとられる。

それが「もーいやー」になっちゃうこともありますが、でも、バランスの主張をするからには逃れられない宿命であるから...

その「微妙なニュアンス」をもっとオープンにすること。逆に、自分がその「バランスの主張」を聞く立場のときは、その「程度」具合にしっかり耳を傾けること。

そしてなにより...

一つ一つの細かい分析をもっと丁寧に

もっとニュアンスに着目した議論が活発になることを願いつつ、自分への戒めの気持ちも含めて、ここに記したいと。