自分の中でデマを広げさせない

自分のデマ?

デマを研究しているとある学者の言葉で、印象的なものがありました。(まっ、これはテレビで言ってたんですけどぅ)

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人は「自分の知ってる部分」と「起きている結果」の間の空白を、自分の価値観で納得できる論理で埋めようとする。その埋められた仮説、あくまで仮説のはずの論理が、普段とは違う精神状態によっていつのまにか仮説から確信に変わってしまい、多くのデマの発端になると。
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地震のときにデマがよく出回ったようですね。そのときの話がこの話のきっかけではありますが、ここでは、周りの人に広がるデマ、というよりも自分の中で広がるデマというのをテーマにしたいと。

二つの着目点があります。

o 納得できる論理で空白部分を埋めようとする
o 仮説なものが確信に変わってしまう

確かにわかる気がする。自分もそういう部分あるし、そういって勘違いしたことも実際にあるし、そういう風になりそうだったこともあるし、そういう感じで話をしてる人をみたことあるし。

人がどうしても持ってしまっている本能と言えて、個人差はあれど自制しないと崖に向かって敷かれたレールに乗っかってしまう可能性あるではないかと。

空白を埋めるデマ

とにかく人は空白部分を埋めようとする。
ある程度は仕方がないこと。
それが思考の基本的な営みだから。

ただ、問題なのはその精度。仮説を立てるにしたって価値観や感情に左右されれば、かなり低い位置からの仮説検証になってしまう。

世の中の論理は自分(一人の人を)を納得させるために存在しているわけではないから

自分が納得がいくことを目的に作られた都合の良い論理、なかなかいきなり当たるなんてことは少ないでしょう。

...

そして、興味のないことであればあるほど、その検証作業はやらないで放っておくでしょう。

そのとき、仮説の精度はどうあれ、仮説はあくまで仮説。何の追加要因もなく確信に変わることはあり得ません。だが、時間の経過や精神状態や希望的観測などの要因が、心の中で true だった仮説フラグをいつのまにか false に...いや、その仮説フラグ自体を忘れてしまって、頭の中でif 文を書くことを忘れてしまう...

もしくは、確信した知識を検索する場面で、「仮説フラグがFalseのものに絞る」という条件を忘れてしまう。

仮説だった知識を確信のように取り扱ってしまい、その結果自分が痛い目に会うというのが一番怖いこと。

自分の中のデマ、つまり「思い込み」で自分が損をする

それってとってももったいない話だなぁって。

仮説キープ力

「保留力」と勝手に読んでいますが、

(精神状態、価値観、希望的観測にどんなに左右されても)

仮説を仮説のまま頭の中で保持し続ける力

これが大事なんだと。

そして、意外に難しい。せっかち過ぎると、なにかと結論付けようとしてしまう。希望が強過ぎると、希望的観測がいつのまにか結論に。自己防衛本能が強過ぎると、自分が正当化される論理を探して結論にしようとしてしまう。論理的過ぎると、曖昧さを曖昧なまま捉え続けるのが苦手だったり。

そもそも世の中のことは、どんなに検証しても仮説の域を脱しないことも珍しくないし、検証する時間は限られてる。仮説であることを前提で行動しなければならないこともあるでしょう。

程よく突っ込んで、程よく割り切って、というようなバランス感覚が求められると。

まずそれを知ること

極端な精神状態の話に限らず、普段のビジネスの中でも精神状態は(振れ幅は小さいにしても)揺れるもの。

つまり、自分の頭の中でデマが発生してしまう可能性は十分にある。そのメカニズムを少しでも知っておけば、そのとき気付けるかもしれない。

ということで、自分への戒めの念をこめてちょっとブログにまとめてみました。

【追記】
// 関連するエントリ: イメージを大事に、イメージに捕われず
http://d.hatena.ne.jp/jflute/20110705/1309852303